カイエ

本とか色々

人を裁くは我にあり アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』

「私が長年罪を裁いてきた経験から言えば、神は断罪と贖罪の仕事をわれわれ人間に任せています――しかし、その仕事はたやすくなしとげられることではないのです。近道はないのですよ」

 ——アガサ・クリスティそして誰もいなくなった

 

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 私事だが、ここ1週間程度体調を崩している。ラボの研究的に休んでいる場合ではないのだが、まあ良い機会なので骨休めしてついでに積読も崩している。そろそろ積んでいる本が片付く……かと思いきや、FF14に手を出してしまったため積読が増えるスピードと拮抗するくらいに収まってしまった。どうして。けれどもFF14やめられないんだな、これが。

 

 さて、今回はクローズドサークルと見立て殺人の金字塔、『そして誰もいなくなった』である。初版は1939年でクリスティの作品群でいうと中期に当たるといえる。特に本作品は『アクロイド殺し』、『オリエント急行殺人事件』と並んで知名度の高いクリスティの傑作として知られており、ミステリーノベルの歴史に燦然と輝く作品といっても過言ではないだろう。
 なお、本作は見立て殺人のオリジンと呼ばれることもあるらしいが、実際はフィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』やヴァン・ダインの『僧正殺人事件』の方が早かったりする。同じクリスティの見立て殺人でも『ABC殺人事件』とかの方が早いが、ただ、本作の影響力があまりにも絶大なためにそう思ってしまう人もいるのかな、とは思わなくもない。

 本作はイングランド南西部のデヴォンに位置するとある孤島を舞台に繰り広げられる。インディアン島と名付けられたその島はアメリカの富豪が買っただの、ハリウッドスターが避暑地にしているだの、海軍が実験場に使っているだのと怪しい噂の枚挙にいとまがないが実際の所は定かではない。旧友からの招待の手紙や人からの依頼を受けてインディアン島に呼び込まれたのは、元判事、秘書、元陸軍大尉、信仰の篤い老婦人、退役軍人、医者、遊び人の青年、元警部の8人。船に乗り合わせて島に辿り着くもののそこで待っていたのは使用人夫妻であり、招待人であるU.N.オーエン夫妻は不在であった。どこか奇妙な感覚を覚えつつめいめい晩餐にあずかるものの、その時の談笑で互いが島へと呼ばれた名義や細部に違和感を覚える。そして、晩餐を終え食後のコーヒーブレイクを迎えていた食堂へととある声が響き渡る。その声によると、ここへ招待された面々はそれぞれ殺人を犯したというのだが……

 

以下、犯人やネタバレを含む感想。

 

 一連の黒幕は元判事であるローレンス・ウォーグレイヴ。彼は強い正義感を抱いている人間であるものの、同時に死を目撃することに強い快感を覚える性質の持ち主であった。年を経るにつれて自分の中の殺人への欲求を抑えきれなくなったローレンスは法の範疇にない殺人を犯した10人をひとところに集めて大胆な殺人事件を行おうと計画した。密かに持ち込んだ青酸カリと睡眠薬を用いつつ、青年、使用人夫妻、退役軍人、老婦人の殺人を行い、医師であるアームストロングに犯人をあぶりだすためという名目で死の偽装を依頼する。遺体に関してはアームストロングが検死を行っていたため、ローレンスが死を偽装し協力者であるアームストロングが検死結果を偽ることでローレンスは一連の容疑者から外れることになった。(島の人間の中でも一番アームストロングからの信頼が厚かったであろうローレンスだからできた芸当ではある)
 その後、アームストロングと密会しているときに彼を崖から突き落とし、その後元刑事も殺害。残った元陸軍大尉と秘書が互いに疑心暗鬼になっているうちに、秘書が大尉から奪い取った拳銃で大尉を射殺。そのまま部屋へと戻った秘書が(ローレンスに誂えられていた)首つり縄で首を括り自殺。(もし彼女が自殺しなかった場合、ローレンスが絞殺して吊るしていたものと思われる)最後はローレンス判事が、秘書の指紋の残った拳銃で自殺を行う事で一連の事件の幕が閉じられる。

 

 改めて書いてみて凄い作品だなとは思う。種明かしは判事が自殺をする前に海へと流したメッセージボトルに記された独白の形式で物語られるが、プロローグ語られるまでは誰が犯人かもわからぬままに招待客全員が命を落とす場面で終わる。

 いわゆる探偵が真相を解き明かし犯人を指摘するというお決まりのケースではなく、死の偽装などはトリックとしてはままあるようにも思える展開だが1939年時点でこれが公開されたとのインパクトは計り知れなかっただろう。(今現在、リドリー・スコットの「ブレードランナー」を見て、近未来都市の表現やストーリーの手法に陳腐さを覚える人がいる、というのと同じ系譜だろうなと思う。影響を受けた派生作品が多く存在するために大本のオリジナルが使い古された手法に見えるというのはまま起こりうることだ)

 判事が犯人でなくても良いのでは、島の誰でも同じ方法で殺人を犯せたのでは、という声もあるだろうが、考えてみるとこの手法で犯行が行えるのは、島を購入できるほどの財産がある人間で、且つ招待客の身辺情報をくまなく洗えるほどの抜け目なさの持ち主で、アームストロング医師からの信頼が厚い判事だけだったりする。
 あえて一度は隠した拳銃をもう一度大尉の手元に戻し、片方が射殺されるのまで予測するというのは中々にリスクの高い方法な気もするが(そう言ってよければほとんどの殺人がリスキーな方法で行われている)、それを踏まえてなお完成度が高く、人物関係や緊張感も巧妙に描き切れているところはクリスティの筆致力の高さゆえであろう。

 また、殺人を決行した順番は犯した罪が重いほど最後にした、と判事自身が独白しているが、これは「間接的な殺人者ではあるもののそれを殺した自分自身が一番罪が重い、よって一連の事件は私の死によって締めくくられる」という意味だと私は理解した。冒頭の引用は老婦人が、死んだのは殺人を犯した天罰だ、と言い放つ場面で判事が語るものであるが、真相を知っているかいないかでここまで印象が変わってくる台詞も中々無いだろう。